スタッフダイアリー


2023年10月30日

こんにちは。
私たちの同業者の中にも財務諸表上の各種指標を一面的にしか捉えない人を見かけることがあります。例えば、総資本利益率。式でいえば、利益/総資本です。分解すると、(売上高/総資本)×(利益/売上高)です。仮に、収益構造(変動費・固定費)が変わらない状況で売上高だけ上がると、高固定費型の事業ほど総資本利益率は飛躍的に上昇します。具体的な数値で見てみましょう。総資本20,売上高10,変動費1,固定費8,従って利益1のとき、総資本利益率は、(10/20)×(1/10)=5%です。収益構造が一定のまま売上高が倍になったとします。すると、総資本20,売上高20,変動費2,固定費8,従って利益10であり、総資本利益率は、(20/20)×(10/20)=50%です。売上高2倍にして、総資本利益率は10倍の伸びとなりました。この結果に対し、様々な想像が働きます。収益構造が変わっていない以上、単に資本効率が上がっただけの事、つまり建物や設備が効率良く回転しただけで、企業の「中の人」が頑張った結果ではないと見ることもできます。あるいは、固定費の大部分を人件費が占める以上、収益構造が変わらないのは、経営者が、売上アップに貢献した従業員を十分に報いていない(=安く買い叩いている)可能性があると見ることもできます。あるいは、商品がたまたま時流に乗っただけと見ることもできます。経営者による戦略的投資がようやく花開いた結果と見ることもできます。総資本利益率の変化だけでも多様な見方ができます。一般の人ならともかく、専門家である私たちが数値の表面だけを見て、上がった・下がったなどと軽はずみな物言いをするのは控えたいものです。

2023年10月29日

こんにちは。
経営学・心理学の分野ではお馴染みの理論ですが、「不満が無い」と「満足」は決定的に異なるという考え方があります。二要因理論というそうです。身近にありそうな例では、高い報酬をもらっているが本人がその仕事にやりがいを感じないという場合、「不満は無い」が「満足も無い」ということです。逆に、仕事にやりがいはあるが報酬が見合わないと本人が感じる場合、それは、満足していながら同時に不満でもあるということです。もっとも何が不満で何が満足かは人それぞれです。ある経営学者は、論考にて「不満が無い」を「文明」に、「満足」を「文化」に対応させていました。これはこれでなるほどと思います。私はもっと単純に、「不満が無い」を「欠点が無い」に、「満足」を「長所」に対応させたいと思います。人でも建物でも、それが抱えるあらゆる欠点を克服したところでそれ自体が長所をより向上させることはないということです。ただ、欠点の克服を通じて長所にも目に向くようになったり(それも深い洞察をもって)、長所を伸ばすための環境が整うということは十分にあり得ると思いますので、素朴に「物事の悪い面より良い面の方に目を向けよう」などと言い切る自信まではありません。実際の企業経営において、二要因のどちらか片方を優先させるべきケースというのは稀で、結局どちらも手当てしなければならないケースの方が大半だと思います。現状として何が不満で何が満足なのかを区分けする線引きが静的に一定ということはなく、常に移り変わっていくものだという基本認識は踏まえておきたいものです。

2023年10月28日

こんにちは。
目先の業務に安住し、長期展望が欠落する。「計画のグレシャムの法則」というそうです。元のグレシャムの法則(悪貨は良貨を駆逐する)のバリエーションの1つだと思います。つまり「悪貨」が日常業務に相当し、「良貨」が長期的な展望にそれぞれ相当するということです。企業経営をされている方にとって(私もそうですが)、業務の中心は非定型的なもの=良貨になるはずです。決まった手順があるわけでもなく、ロジック一本鎗でまかり通ることは稀で、時に情緒や運に助けられたり足元をすくわれたり。やったらやっただけの成果が得られるという保証もなく、仮に成果があっても目に見えにくかったり、その正当な評価は数年先だったり。さらに気の毒なのは、日常業務で安定したパフォーマンスを発揮する周囲の者たちから「理解不能な人」に映り、どうかしたら「遊んでいる」などと中傷されたり。楽しければそれで良いですが、時に疲れることもあるのではないでしょうか。経営者とて人の子です。解が一つに定まり、ロジカルで明白、そしてわかりやすい成果が保証される業務=悪貨が、精神の安定に寄与することもあるでしょう。それが必要なとき、個人的には「会計」がおすすめです。経営者も会計の知識は必須などと言われますが、ここではもちろん違う意味です。経理部が行うような仕訳の業務を、経営者自らが処理するわけです。会計業務においては、基本的に解は一つに定まり、ロジカルで明白、そして成果がきちんと保証されます。逆にそうでないと困るというのが会計という分野です。損益計算書において、100万円の売上高は誰にとっても100万円の売上高です。その日の気分や神の啓示によって10万円に変化したり1000万円に変化したりなどということはありません。だから安心です。1つの良貨=長期展望を毀損しない範囲でできるだけ多品種の悪貨=定型業務を持っておくことは、それ自体が経営者自身の長期的なケイパビリティの形成に資するとさえ思います。

2023年10月23日

こんにちは。
錆びついて回らなくなったダイヤル錠を防錆・潤滑材と園芸用はさみを使って何とかこじ開けるという作業をしました。当店はコンサルティングのお店ですが、別の本業で事情が重なればこんな事もしたりします。最初は防錆・潤滑剤を吹き付けて一定時間放置し、その後、手でダイヤル錠を回そうとしたのですが、一向に回りません。そこで車内のトランクに園芸用はさみを常備していることを思い出しました。これをペンチ代わりに、ダイヤルのつまみ部分のギザギザになっている溝に刃先を噛ませて回転させたらあっけなく回りました。解決です。その時はなんとも思わなかったのですが、しばらく経って、どうして園芸用はさみの事を思い出したのだろう?と思いました。思い返してみると、1~2年前に同じような経験がありました。当店の所在地でもあるグループ本社ビルの自動ドア下部にある手動ロックが錆で回らなくなったとき、やはりペンチでこじ開けたということがありました。おそらくその経験が脳内に記録されていたのでしょう。疑問は、その検索のプロセスです。ある事象に遭遇したとき、脳は過去の似た事例をスキャンし、関連付けを行い、目の前の事象に対処しようとするのかも知れません。そうした問題解決のプロセスが当人の積極的な意思と無関係に働いているのかも知れません。なぜスキャンした? どうやってヒットした? この辺は謎です。上記とは別の話ですが、よく知っている人の名前をど忘れすることがあります。考え事をしていて、内容と直接には関係しないその人がふと頭に浮かび、名前は何だっけ?となる。瞬時に思い出せない。数秒後に思い出す。思い出そうとする努力は特にしていない。頼んだ覚えはないのに脳は勝手にスキャンし始め、まあまあの確率で探し出すことに成功し、それを現前の意識に提示してくれる。よくできた秘書のようでもありお節介な世話焼きのようでもあります。無理して探さなくていいよ、とも言えません。あるいは、考え事の内容と直接には関係しない人物ゆえに記憶の「下の方」に沈んでいて、脳がそれを意識の水面まで引き上げきるのに時間を要しただけのことかも知れません。ハーバート・サイモンの「限定された合理性」ではありませんが、脳は、私の「直属の部下」であるはずなのに、その程よくチューニングされた、合理的且つお節介で悠然とした仕事術は謎に満ちています。

2023年10月21日

こんにちは。
水は低きに流れるといいますが、そうした自然の摂理が有効に機能する要件として、①水がある事 ②勾配があること ③流れをせき止める障害物がないこと の3つを挙げてみたいと思います。水と勾配があっても、障害物があると、水は滞留するでしょう。水があって障害物がなくても、勾配がなければ、水は流れ始めないでしょう。勾配があって障害物がなくても、水がなければ、そもそも意味がないでしょう。これを人間で考えたとき、①水は自由意思 ②勾配は丈夫な体 ③障害物は無知蒙昧に例えることができそうです。意思があって丈夫な体を持っていても、知識や道理を弁えていないなら、意思の自然な流れはどこかでせき止められるでしょう。意思があって知識や道理を弁えていても、丈夫な体がなければ、思い通りに実行できないでしょう。丈夫な体を持ち知識や道理を弁えていても、意思がなければ、寝ているのと変わらないでしょう。同様に、コンピューターで考えたとき、①水は命令文 ②勾配はマシン(ハードウェア) ③障害物は不正確なアルゴリズム(ソフトウェア)に例えることができそうです。命令文とマシンがあっても、アルゴリズムが不正確なら、エラーで終わるでしょう。命令文と正しいアルゴリズムがあっても、マシンがなければ、処理を実行できないでしょう。マシンと正しいアルゴリズムがあっても、命令文がなければ、コンピューター資源の無駄でしょう。最近では、丈夫な体の作り方や多種多様な知識・技術を教えてくれる人がたくさんいます。ハードウェアやソフトウェアの性能も日々、秒進分歩で向上しているようです。しかし、そこには何かが欠けているような気もします。肝心の何かが。そして、何かが欠けているということに気づく機会さえも、性能向上の急激な比例直線と同じ勢いの反比例直線を描きながら日々減少しているように思います。水は低きに流れるといいますが、肝心の水がなければ、高きも低きもあったものではありません。

2023年10月20日

こんにちは。
事業多角化の利点は、事業間の切磋琢磨や相乗効果、リスク分散などと言われます。これに1つ付け加えるとしたら、なんでしょうか。私は、気分転換を挙げたいと思います。たしかに単一の事業に経営資源を集中投下するのは効率的です。もっといえば、その方が楽です。他の一切に煩わされることなく一つの事業に全力投球すればいいわけです。しかし、効率的で楽なものは人を盲目にさせる恐れがあるとも思います。まず、遊びが無い。行き詰ったときの精神の逃げ場も無い。KPIも効率性に関する指標が中心になったり、自社と同様単一事業に専念する競合他社との数値比較で一喜一憂しかねない。その意味で組織学習の機会に乏しく、学べる幅も狭くなりやすい。一本に絞るという「楽な道」を選んだだけに失敗は許されないという緊迫したムードさえ漂う。脇目もふらず一つのことを追求する姿は、一途で美しく見えると同時に、視界に広がる様々な可能性を黙殺する病的なオブセッションにも見えます。既存事業と少し関係しながら単体としても成り立つ他の事業をもう1つ持っているだけで、こうした弊害は随分と緩和されるのではないでしょうか。事業間の気分転換は、相乗効果やリスク分散といった教科書的な利点とは別に、思いもしない果実の味わいに満ちている気がします。

2023年10月19日

こんにちは。
経営戦略の策定においては、自社の強みを伸ばす・活かすことが大切と言われます。外部環境よりも内部資源の方を起点に競争優位性を確立しようとするRBV(リソース・ベースト・ビュー)はその典型です。でも、それはどうしてなのでしょうか。その根源的理由を明確に説明してくれる書や人に出会ったことがありません。どうやら強みを伸ばす・活かすことは所与の前提条件であるらしい。いついかなる状況においても強みに注目することが大切なのでしょうか。何もあまのじゃくになりたいのではなく、常識として広く受容されている概念について、ほどよい懐疑の念は持ちたいものです。たしかに業種や仕事が細分化され、高度に専門化した現代社会において、個人や組織があれもこれもやるのは大変非効率というか虻蜂取らずに思えます。各々が得意な事に専念し、それらを緩やかに結合するやり方の方がずっと理にかなっている。一方で、強みの捉え方はさまざまです。極端な例として、お金をたくさん持っていることがある人(組織)の強みだとして、それを伸ばす・活かすことが戦略だと言われたらどうでしょう。それは、わざわざ策定するほどの戦略といえるのでしょうか。また、強みを伸ばす・活かすという表現には一見、能動的な印象がありますが、戦略が現在の手持ち資源に左右されるという点では、現状追認的・付和雷同的な受け身姿勢にも思えます。本当に「それ」をしたいなら、何も無理して自身の強みと関連付ける必要は無い。強みなど、本当にしたいと思う「それ」を愚直に追求している内にあとから付いてくる。そのような考え方もあって良いと思います。いやむしろ、そのようにして形成されたその人(組織)固有の強み以外に、一体何を強みというのでしょう。強みは所与の出発点というより、後から見いだされるもの。周りはともかく本人は特に意識していないもの。伸ばす・活かすという他動詞ではなく、伸びる・活きるという自動詞で表現されるもの。そんな風にも思います。

2023年10月17日

こんにちは。
物事を考える際、道具の有無や種類によって違った思考過程を通るように感じるときがあります。例えば、スマホやパソコンなど電子機器を使って考えるときと、ペンとノートを使って手書きで考えるときと、移動中や運動中など何も道具が無い状況で考えるときとで、それぞれ別個に考え方の癖のようなものがあると思います。また、同じパソコンでも使用するアプリケーションによって思考過程が微妙に変わってくるように思います。一人で考える状況であってもそうなのですから、これが、人と話しながら考えるといったように他人が関係してくると、思考過程のバリエーションは更に複雑に分岐していきそうです。何が良いかはさておき、あるテーマについて考えるとき、最低2つの思考過程を経ることが望ましいと個人的には思います。オフィスでPowerPointを使って資料作成をしながら考える状況と、同じテーマについて散歩中に考える状況とでは、時に正反対の結論が導き出されることさえあると思います。どちらの結論が正しいかということより、自分の中に在る止揚しがたい矛盾の存在に気づくことの方を大切にしたいと、私は思いました。自分が置かれた状況について考えるとき、あたかも人から相談を受けたという架空のシチュエーションに置き換えて、その相談に自分が応えるということをやってみると、意外にすんなり(しかもある程度客観的で的を射た)答えが出るという経験もありました。抽象的には、自分の考えなどあまりあてにならないという感覚をどこか持っている方が、逆説的に「自分らしく」考えるのに有効な方法の1つであると思います。不思議ですね。ちなみに、以上の文章は、パソコンの「メモ帳」アプリに書きながら考えたものです。

2023年10月14日

今年の3月くらいから、日々の仕事の合間に細々と作り続けていた当店ホームページですが、ようやくひとまずの完成に至りました。もし制作会社に委託していたら2~3週間で完成していたでしょう。しかし、その費用は約100万円という見積書でした。しかもコンテンツを更新する際の費用は、テキスト1ヵ所につき1,000円だとか…。すごいですね。一方、ワードプレスで自作したら、費用はドメイン取得料とレンタルサーバー代の合計で年間12,000円です。もちろんコンテンツの更新料などかからず、更新タイミングも思いのまま。お金面もそうですが、やっぱり手作りが一番です。当店ホームページは、文字ぎっしり(^^;) 作りも素人感満載です。でも、自社で作って良かったなと改めて思います。費用節約した分は、もちろんの事、お客様に還元です。まずコンサルティング会社こそが、人にあれこれ言う前に、自らの経営努力でコスト効率を上げ、それにより生じた余剰を、クライアントの支援活動に惜しみなく配分する。サービス業の基本であり、鉄則である。…というと大袈裟に聞こえるかも知れませんが、大切なことだと思います。